昨今、本当に日記を書いているブログってないよね。というわけで、今日は日記を書いてみる。
今日も一日がんばった。たくさん所見をとった。サボらなかった。
さらに、ここ数日のことをまとめようと思う。
XX月YY日:とある未来有望な若手クリエイターの集まりに出席
非常に疲れた。
自分はダラダラした人間であり、かつクリエイティビティもなければ自己顕示欲もそんなにない。
みんなの才能と志はキラキラ眩しかったが、「全てにおいて恵まれているだけじゃん」「自分(と自分の作品)をハッタリで塗り固めて良く見せようとしているだけじゃん」という呪詛が沸々と湧いてくるのを抑えることができなかった。
人は理由もなく生まれて、老いてただ死んでいく。私たちはただ理不尽に生を押しつけられる。
私のそのような人生観と未来有望な若手クリエイターはあまりにも相容れず、心の中に黒い澱が溜まっていくのを感じた。
ということで、キラキラしたものはできるだけ見ないようにして、これからもマイペースに生きていこうと思う。
XX月ZZ日:友人の結婚式に参加
人生初結婚式である。久々の友達に会えてとても楽しかった。
高校時代の友達と会うとすぐに10代の自分に戻ることができる。ありのままに近い自分でいられるという感覚がある。今では滅多に会うことはないけれども、このような友人がいるのは幸せだなぁと思う。
結婚式は嫌いだと思っていたけれども、友人たちの再会の機会になると考えると悪いものでもないかもしれない。
でも、翌日ふと「あの人とは二度と会うことはないのかもしれない」と思うと無性に寂しくなって涙が出そうだった。
みんなの頑張っている話を聞いて、自分も頑張らなければいけないなぁと思った。
XX月AA日:学歴主義に毒されている私の家族のこと
私の家族はステータスというものを非常に気にする。特に母親は学歴を非常に気にする。
私の母親のスマホの待ち受け画面には中高大の合格実績サイトのショートカットがあり、よく見ている。数か月に1回会っても、母親の話は学歴の話題ばかり。
先日帰省したときに私のきょうだいに対して
「〇〇(きょうだい)はXX大学に入れてホントによかった。△△(きょうだいの友人)ちゃんは教育に全然投資していないのに、公立高校で塾にも行かないでXX大学だって。それなのに〇〇がまともな大学に入れなかったら・・・」
と言っていて、言葉が見つからなかった。
子供は本能的にみんな母親が好きだと思う。私も母親が好きだった。母親に愛されたいと思っていた。だから、自分の母親が変だとは気づけなかった。
母親と距離をとって数年経ってようやく母親の考え方がおかしいのではないかと思い始めた。
学歴なんてどうでもいい。学歴と人間の価値は関係ない。大学名よりも自分なりに考えてもがいてきた道のりの方がよっぽど役に立つ。他人に褒められても、評価されても意味はない。
私の母親はややASDの傾向があるから、人が数値で見える学歴にのめり込んでしまったのだと思う。
私の家族の学歴主義は今さら変わらないし、変えられない。
でも、私は18歳時のある一部分を切り取った数字で人間の価値を測るような生き方はしたくない。もっと言えば他人からの承認や評価を求める生き方はしたくない。
子供の頃から植え付けられた価値観はなかなか根深いから無理かもしれない。無理かもしれないけれども自分なりに頑張りたい。