ヘトヘトブログ

B級洋画や小説の感想を書くブログ→の予定だったが、他の趣味についても書いていく

キレてしまった

交際している人に対して、ブチ切れてしまった。

 

きっかけは本当に些細なことで、私が向こうを家まで送ろうと思っていたのに、私がうたた寝していたら向こうがその間に帰ってしまったこと。

 

自分の思い描いていたスケジュールが崩れるとキレてしまう。

 

いい年になって親の話ばかりしているのもどうかと思うが、自分がキレてしまうたびに自分の親の姿がチラつく。

 

自分の親も、親の思い描い描くイメージから外れることをするとブチ切れる。

 

親が車で初詣に行くイメージだったのに、妹が電車で行きたいというとブチ切れて初詣自体行かない(だから今年は初詣をしていない)、

営業時間内のはずの台湾かき氷の店が閉店していたからキレる、

能登半島地震が起きて、正月の夜の『芸能界格付けチェック』が災害特番になってキレる

 

などなど

 

自分は親とは違う人間でありたい。

キレない、穏やかで大らかな人間でありたいと思っている。

しかし、やはりふとした時にキレてしまう。

今回もキレてしまった。だめだなぁと思う。

遺伝などの生得的なものなのか、キレやすい人に囲まれて育ったことによる後天的なものなのかは分からない。でも、どちらにせよ今からどうにかできる問題ではない。

先日オンラインのカウンセリングを受けてみたけれども、どうにかなりそうな気はしなかった。

 

どうすればいいのか分からない。

 

妹は私がキレやすいことを知らなかった。家族の前では私はあまりキレていないのかもしれない。もっとキレやすい人が周りにたくさんいるから。

 

キレやすい人に囲まれていたら、私はキレずにすむのかもしれない。皮肉だなぁ。

ワクチンと親の愛情

土日に親と電話したら、学歴の話、陰謀論チックな話、他人の病気の噂話ばかりで、挙句「あなたは老人なんてうんざりと思ってるんでしょうけど」と言われて、気分がモヤモヤしていた。

 

以前、社会保障の話を親として以来、私は所謂「高齢者は(字義通り)集団自決すべき」という思想をもっていると思われている。

 

訂正しても埒が明かないし、長く生きることは正義ではないと思っているのは事実だからもうあまり話さないようにしている。

 

母親には、子供の頃から私は人の心のない人間だとか、人格的に問題があるというように思われている節がある。事実そうなんだろうなという自覚はある。

 

私はかなり共感性が低く自分本位に考えるところがあり、だから私は親にとって「かわいくない子供」なんだろうなと思っている。

 

今日海外渡航用ワクチンを打ちに行った。

 

担当の医師に親は医者かと訊かれた。

 

親は医者ではないと言うと、「こんなにワクチンをきちんと打ってるのはすごい。親の愛情を感じます。」と言われた。

 

親の愛情はあったのか?

いつまであったのか?

親の愛情があるとすれば、なぜこのような親子関係になってしまったのか?

 

より一層頭の中の霧が深まってしまった。

もう二度と会わない人と会うのがツラい

ここのところ実習の関係で1週間~1か月ごとにいろいろな場所を転々としている。

 

その場所の人と1か月ぐらい一緒に過ごすと、いろいろな話をしてそれなりに仲良くなる。それでも1か月経つとそこで終わり。多分もう2度と会うことはない。

 

たくさん話していた人と急に会わなくなると、その人に対して抱いていた感情や考えをどこに置けばいいのか分からなくなる。行き場を失った感情や考えが頭の中で暴れだして、情緒が不安定になることがある。

 

たくさんの二度と会わない人と関わるのがツラい。

 

人生で何十年も継続的に会い続ける人なんてほとんどいない。家族ぐらいかもしれない。

その瞬間は親しくても、時が過ぎ去ると二度と会わない人ばかりだ。自分の人生を風のようにヒュンヒュンと通り過ぎていった人たちのことを私はいつも考えている。

 

一瞬でもそれなりに深く話すと、その後二度と会わなくてもその人が私の中に住み着いてしまう。かつて話した人たちがふとしたときに私の意識の表面ににょきっと出てきて、私を批判したり支えてくれたりする。

 

実際に会うことは二度となくても、昔関わりがあった人たちが私の頭の中から消えることはない。というよりもそういった記憶こそが自分の本体なのではないかと思うことがある。

 

私が好きな宇多田ヒカルのPassionという歌の歌詞に

「二度と会えぬ人に場所に窓を開ける」

というフレーズがある。

 

自分とは向かいあった大きな窓が開け放しになっている家のようなものだというイメージを抱いている。日々そこを様々な風が通り過ぎているのかなと思いながら、日々の生活を送っている。

風邪を引いた

私は昔東京に住んでいて、その頃は1年に10回以上風邪を引いていた。

私は東京の喧騒が好きなのだが、どうやら私の喉には合わないらしい。

 

今回ももれなく東京土産として風邪をいただいてしまった。

 

「そんなに体調悪くない!いけるかも!」と思うと出先で猛烈に体調が悪くなり、大事をとって休むと思いの外体調が悪くなく家で暇を持て余してしまう。

私は基本的に無理しいなので前者が圧倒的に多いのだが。

 

未だに自分でも自分の体調がよく分からない。

 

コロナが流行って風邪っぴきの肩身はますます狭くなった。

 

この3年間で私たちは「風邪はうつる」という至極当たり前のことを再認識した。

 

それを分かっていれば「風邪でも絶対に休めないあなたに」などという狂気じみたキャッチコピーは出てこないはずなのだが。

 

だが、実際、「風邪を超えた何か」「風邪」「風邪かも」の3種類すべてで休んでいると社会生活に支障をきたすような気がする。

 

我慢の閾値ってよく分からない。この分だと明日も我慢の閾値の周辺を迷いながらふらふらさまようことになるだろう。

 

あまりにもとりとめのない日記だが風邪を引いているということでお許し願おう。

 

どうやらインフルエンザ時の頭痛は髄液中に微量のウイルスがいるせいだという話もあるようだし、風邪のウイルスが私の思考回路に何らかの影響を及ぼしていてもまぁ不思議ではない。

今日もがんばった

昨今、本当に日記を書いているブログってないよね。というわけで、今日は日記を書いてみる。

 

今日も一日がんばった。たくさん所見をとった。サボらなかった。

 

さらに、ここ数日のことをまとめようと思う。

 

XX月YY日:とある未来有望な若手クリエイターの集まりに出席

非常に疲れた。

自分はダラダラした人間であり、かつクリエイティビティもなければ自己顕示欲もそんなにない。

 

みんなの才能と志はキラキラ眩しかったが、「全てにおいて恵まれているだけじゃん」「自分(と自分の作品)をハッタリで塗り固めて良く見せようとしているだけじゃん」という呪詛が沸々と湧いてくるのを抑えることができなかった。

 

人は理由もなく生まれて、老いてただ死んでいく。私たちはただ理不尽に生を押しつけられる。

 

私のそのような人生観と未来有望な若手クリエイターはあまりにも相容れず、心の中に黒い澱が溜まっていくのを感じた。

 

ということで、キラキラしたものはできるだけ見ないようにして、これからもマイペースに生きていこうと思う。

 

XX月ZZ日:友人の結婚式に参加

人生初結婚式である。久々の友達に会えてとても楽しかった。

 

高校時代の友達と会うとすぐに10代の自分に戻ることができる。ありのままに近い自分でいられるという感覚がある。今では滅多に会うことはないけれども、このような友人がいるのは幸せだなぁと思う。

 

結婚式は嫌いだと思っていたけれども、友人たちの再会の機会になると考えると悪いものでもないかもしれない。

 

でも、翌日ふと「あの人とは二度と会うことはないのかもしれない」と思うと無性に寂しくなって涙が出そうだった。

 

みんなの頑張っている話を聞いて、自分も頑張らなければいけないなぁと思った。

 

XX月AA日:学歴主義に毒されている私の家族のこと

私の家族はステータスというものを非常に気にする。特に母親は学歴を非常に気にする。

 

私の母親のスマホの待ち受け画面には中高大の合格実績サイトのショートカットがあり、よく見ている。数か月に1回会っても、母親の話は学歴の話題ばかり。

 

先日帰省したときに私のきょうだいに対して

「〇〇(きょうだい)はXX大学に入れてホントによかった。△△(きょうだいの友人)ちゃんは教育に全然投資していないのに、公立高校で塾にも行かないでXX大学だって。それなのに〇〇がまともな大学に入れなかったら・・・」

と言っていて、言葉が見つからなかった。

 

子供は本能的にみんな母親が好きだと思う。私も母親が好きだった。母親に愛されたいと思っていた。だから、自分の母親が変だとは気づけなかった。

 

母親と距離をとって数年経ってようやく母親の考え方がおかしいのではないかと思い始めた。

 

学歴なんてどうでもいい。学歴と人間の価値は関係ない。大学名よりも自分なりに考えてもがいてきた道のりの方がよっぽど役に立つ。他人に褒められても、評価されても意味はない。

 

私の母親はややASDの傾向があるから、人が数値で見える学歴にのめり込んでしまったのだと思う。

 

私の家族の学歴主義は今さら変わらないし、変えられない。

 

でも、私は18歳時のある一部分を切り取った数字で人間の価値を測るような生き方はしたくない。もっと言えば他人からの承認や評価を求める生き方はしたくない。

 

子供の頃から植え付けられた価値観はなかなか根深いから無理かもしれない。無理かもしれないけれども自分なりに頑張りたい。

長野県営浅間団地

基本情報

長野県松本市浅間温泉1-11にある。

前回紹介した浅間南団地のすぐ近く。浅間南団地は松本市営、こちらの浅間団地は長野県営である。

A棟からC棟まであり、それぞれ5階建て。

鉄筋コンクリート造だと思われる。

1979年から1980年に建てられたとのことで、2021年現在で、築およそ40年。外見はあまり古い感じはしなかった。

団地内には小さな公園がある。

Google Mapのストリートビューより

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写真

見に行ったのが小学生の下校時間帯と重なる頃だったので、不審者だと通報されないかビクビクしてあまり写真は撮れなかった。

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A棟だけ壁面(?)に太陽光パネルがついているのがおもしろい感じ。どのように利用しているのだろうか。そして他の棟には設置しないのだろうか。

松本市営浅間南団地

基本情報

松本市営 浅間南団地は長野県松本市浅間温泉1丁目8にある。

A棟からD棟の全4棟から成る。

A棟からC棟は5階建て、D棟は4階建てである。

下の写真(Google Mapより)のように、A棟からC棟は道に面して横並び、D棟だけ奥まるような形になっている。

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まぁ、鉄筋コンクリート(RC)造だと思われる。

A棟とB棟は1988年、C棟とD棟は1990年に建設されたので、2021年現在では築およそ30年ほど。まだまだきれいそうである。

団地の中には小さな公園もある。(下の画像で黄色く囲ったところ)

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参考:市営住宅の一覧(補充) 松本市ホームページ

 

写真

こちらはA棟

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こちらはB棟

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棟ごとに色が違うのがおしゃれで良い。

 

C棟・D棟の写真はない。

 

A棟・B棟・C棟を道路の反対側から見たところ。ちなみにこの反対側(向かって右側)にD棟がある。

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山も近く、閑静な場所である。